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| 文公宴 |
| 2008-10-30 |
什锦豆腐羹 穆公二十六年四月、秦の穆公は、介子推の高尚な品格と固い節操に傾倒し、文武の臣下を引き連れて綿山に登って介子を弔い、賢人の残した足跡をたどるように渓谷に分け入った。その山は高く谷は深く、あらゆる鳥がさえずり、すべてが調和を取り、介子のこのような秘境に到達できたことに喜びを隠せなかった。介子の祠を参った後、コックは特別に“什锦豆腐羹”という料理を作った。秦の穆公はその芳しい味や香り、独特のうまさに感動して絶賛し、この料理を終生忘れられない“名羹”(あつもの)とした。そして歴代の賢人達が綿山で修行をする際には必ず食され、様々ある綿山名料理の一つとなったのである。 大汗烤羊腿 戦国時代、魏の国の名士段干木は、幼い頃綿山が遊び場であった。ある日、水たまりまで来たところで疲労困憊してその場に倒れ込んでしまった。意識が朦朧とする中、誰かがひょうたんの形をした洞穴に飛び降りて薬草を口に入れるのが見えた。冷たい風がふっと吹いて目が覚めた時、夢の中にいたはずの人が目の前でまたひょうたん型の洞穴に飛び降りるのが見えた。この光景に驚き、急いで地面にぬかづきその人に問うた。“どちらの仙人様でしょうか?”。洞穴の中の人はただ“ここで長く修行しているだけだ”と答えた。 段干木はその後助けられ、のちに卜子夏に師事し、知識の習得に精を出しついには一大名士となり、その後綿山に隠居した。 この時彼が一番好きだった料理“大汗烤羊腿”(羊モモ焼き)は綿山で長く食され、この焼き肉料理は綿山の一大ブランドとしてその名が知れ渡ったのである。 長山薬炒木耳 宋代の仙人雷隠翁は、試行錯誤の中にいた。ある日の帰り道、ふと綿山に立ち寄った。山に昇ったあと栖賢谷まで来た時、そこに咲く見たことのない花々、こんこんと湧く泉を目にし、そこがまるで仙人の秘境のようだと感じた。その後ついには修道の考えにたどり着き、そのまま栖賢谷で20年修行を積んだ。その修行の間に雷隠翁は“仙人を酔わす”食事府の李コックと親しくなり食事府に通うようになった。李コックは綿山で取れたキクラゲと長山薬を一緒に炒めた料理を作り、雷隠翁に食べさせたところ、その味はとても柔らかく栄養豊富で、雷仙人はとても喜んだのだった。 その後、“野木耳炒长山药”(山芋ときくらげの炒め)は雷仙人の修行を支えた定番料理となったのである。
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