摇柱一棵松 時は晋惠帝永嘉年間、張宾という一人の学者がいた。聞くと、綿山の石勒率いる兵の中で名声を上げ、綿山は見事に石勒の統治下となり、石勒より軍師に命じられた。張宾の画策はことごとく成功し、その戦い方は多彩で、石勒を助けて綿山に要塞を築き、中原を統一、のちに皇帝にまで登りつめた。 綿山で祝勝会を催して三軍をねぎらった際、張宾はコックに指示して綿山特産の“娃娃菜”(白菜の一種)と“干し貝”を一緒に煮た料理を作らせた。その香りは質素でありながら味は新鮮でおいしく、石勒が、持っていた箸を思わず落としてしまうほどだった。料理の並びは綺麗で“揺るがない一本の松”のようだと賛嘆した。その料理の名は三晋まで広がり、その後1700年を経てもなお、綿山の“世龍宴”の中でも一種独特の風味を持つ名料理となったのである。その後歴代の皇帝、宰相、状元、知県たちは、この料理を食べる為に何度も綿山に足を運んだのだった。
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