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水涛沟
水涛沟は綿山の裏側にある水涛沟
自然景観区にあり、そこは見渡
す限りが...
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棲賢谷
棲賢谷は、山西省介休の綿山観光
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龍頭寺
龍頭寺は綿山景勝地の入り口
にあります。関帝廟など、名
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綿山の仏教文化
2008-10-30  
  綿山の仏教文化は歴史が古く、中国の仏教歴史に重要な位置を占めている。
  中国国内に名山、名僧は多いけれど、白馬寺は平川で最も早く建立された寺院である。また、綿山の鉄瓦寺は最も早い時期に完成した山間部の寺である。鉄瓦寺は後漢の建安年間に建築が始まったもので、白馬寺より100年ほど遅かった。
  綿山の抱腹寺は曹魏の太和年間に建立されたものである。綿山の『大唐汾州抱腹寺碑』の記載よると、同寺は曹魏の太和年間の高僧・迪公が考察したうえ、朝廷に建設案を上奏して魏明帝の勅令によって建立し、さらに抱腹寺という名を勅封した。今から千八百年前の同寺は長さ180メートル、高さ60メートル、奥行き50メートルの大きな天然岩の洞窟内にあった。その洞窟は上下二層で、洞の中に洞、岩の中に岩があり、200以上の禅房と一、二万人を収容できる大きなものであった。中国国内唯一の絶壁溶洞にある仏教古刹である。
  綿山仏教の特徴は、浄土宗と禅宗のどちらも修行できるところにある。長い歴史の中において、浄土宗の祖師・曇鸞と成仏となった最初の漢人・田志超の二人は画期的な人物である。
  唐代の『続高僧伝・曇鸞伝』の記載と考証によると、五台山で『大集経』の注釈に打ち込んだ曇鸞大師は過労で病いに倒れた。医者に見てもらうため、あちこちを歩き回った。汾州の泰陵にやってきたとき、空王仏が彼に悟りを開かせた。曇鸞は抱腹寺の洞内に目を閉じて精神を休め、修行を重ねながら、『服気法』『調気法』『療百病雑丸方』など多数の養生、治療法の作を著した。後に、彼は南方の梁の国から洛陽に戻り、そこで菩提流支という僧に出会ったあと、浄土の修行に励み、名声が高くなり、魏主号は「神鸞」となり、勅命によって、抱腹寺に住み着いた。その後の十数年間、曇鸞は『往生論註』(2巻)を注釈し、また『賛阿弥陀仏偈』(1巻)『略論安楽浄土義』(1巻)を著した。当時、曇鸞の門下の僧侶や信徒が多すぎて、抱腹寺には収容しきれなくなり、曇鸞は「一夜で向こう側の山に飛んで行き」、鉄仏寺を創立したという。これは後に鸞公岩と呼ばれたところである。この期間に、彼は臨汾の介休へ何度も出かけ、玄中寺に行って浄土宗を大いに発揚した。楽魏の興和4年、曇鸞は修行の洞内で亡くなった。弟子たちは真身像をつくって祀っていたが、後に戦災で破壊されてしまった。唐の中和年間、回鑾寺の住持・恵真は僖宗に奏し、勅令によって舎利塔を建て、曇鸞の真身像を作り直した。現在の抱腹寺内には曇鸞大師の修行洞があり、洞の前に『曇鸞修行記』碑と名士の旅行記の碑が数点建てられている。曇鸞真身像は正果寺の大殿に置かれている。
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